本稿の要点:
「AIに任せたが、自社の水準にならない」という悩みの原因は、多くの場合AIの能力でも指示の巧拙でもない。渡すべき方法論が、そもそも言語化されていないのである。暗黙知をAIが実行できる形式知に変えるには6つの要素が必要であり、なかでも発動条件・判定基準・停止条件・依存関係の4つは、人間向けの文書では省略されがちなものである。そして重要なのは、この作業が持つ副作用である。形式知化は、ナレッジを移転する手段である前に、ナレッジの構造を検査する手段になる。ただし検査できるのは整合性であって、妥当性ではない。本稿では当社自身の実例を含め、この線引きまで踏み込んで述べる。
「AIに任せられない」の正体
生成AIの業務適用が進むにつれ、現場から上がってくる声が変わってきた。「AIは使えない」ではなく、「悪くはないが、当社の水準ではない」である。そして多くの組織はこの原因をプロンプトの書き方に求め、プロンプト研修を導入する。
プロンプトの工夫が効かないわけではない。だが当社の見立てでは、プロンプトの工夫で届く範囲は、方法論が既に言語化されている場合に大きく広がる。逆に、分析の手順が特定の熟練者の頭の中にしかない場合、指示の巧拙だけで自社固有の水準を再現するのは難しい。存在しないものを召喚する呪文はないからである。裏返せば、生成AIは組織にとって鏡でもある。AIの出力が凡庸であるとき、それは自社の方法論が言語化されていないことの写しかもしれない。
ここで区別しておきたい概念が2つある。プロンプトは都度の指示であり、形式知は再利用される資産である。当サイトのAI活用コスト稿で「同じ説明を毎回AIに再生成させるのは変動費の垂れ流しである」と述べたが、これは費用の問題にとどまらない。都度の指示に頼る限り、出力の水準は指示を書いた人の力量に張り付き、組織の資産として蓄積されない。方法論を一度書き切って参照させる形に変えること──当社ではこれをClaude Skillとして実装している──は、水準の再現性を作る中核的な道筋の一つである。

AIに渡す形式知が備える6要素
暗黙知を形式知に変換する営みは、経営学において新しい主題ではない。野中郁次郎氏の知識創造理論(SECIモデル)は、暗黙知の表出化を組織的な知識創造の中核工程として位置づけた。手順書やSOP(標準作業手順書)、業務仕様書の作法も長く蓄積されている。本稿の主張は「言語化せよ」という一般論ではない。読み手が人間でなくなったとき、従来の文書で省略が許されていた要素が、省略できなくなるという点にある。
当社が、特に戦略業務を中心に、30を超えるSkillを設計・運用してきた経験から整理すると、AIが実行できる形式知が備える要素は次の6つである。
- 発動条件:どんな依頼・状況でこの方法論を使うのか(使うべきでない場面の明記を含む)
- 入力:開始に必要な情報は何か。何が欠けていたら着手せず問い返すのか
- 手順:何を、どの順序で行うか。分岐がある場合はその条件
- 判定基準:途中で下す見極めの基準。何をもって「その型である」「妥当である」と判断するか
- 停止条件:どこまでやったら終わりか。掘り続けない、広げ続けないための条件
- 出力:何を、どの形式で出すか。後続の工程に何を引き渡すのか
これに加えて、運用のための要素として例外処理・他の方法論との依存関係・版管理が必要になる。とくに依存関係の明記は、後述する事例が示す通り、単独の手順書を眺めていては気づけない欠陥をあぶり出す。
人間向けの文書と比べたときの差分は明快である。手順書やマニュアルは、②入力・③手順・⑥出力までは書く。だが①発動条件・④判定基準・⑤停止条件・依存関係は、読み手の経験に委ねて省略されることが多い。「まあこの辺で十分だろう」と勘所で止められる相手を想定できるからだ。AIに渡す場合、その前提が外れる。判定基準を書かなければAIは一般的な基準で判断してしまい、停止条件を書かなければ、際限なく広げるか早々に切り上げる。AI向けに書くという制約が、人間向けに書くよりも厳しい規律を要求する──この非対称性が本稿の出発点である。
参考として、当サイトで公開してきた方法論を、人間向け文書が省きがちな3要素(発動条件/判定基準/停止条件)で整理しておく。
- MECEによる分解:対象を部分に分けて考えるとき発動する。判定基準は除去テスト(取り除いて全体が縮小するなら足し算、消滅するなら掛け算)。停止条件は「残り」に名前が付いたら終わりであり、付かないなら起点を選び直す
- 収益構造分解(KPIツリー):売上計画・KPI設計で発動する。判定基準は四則演算で売上高に接続できるか(接続できない指標はツリーに入れない)。停止条件は施策・行動に接続できる粒度に達したら
- コスト構造の分類:費用計画の設計で発動する。判定基準はそのコストが売上成長の原因か、結果か。停止条件は戦略コストが方程式として定式化できたら
- コストの洗い出し:新規事業の費用計画で発動する。判定基準はそのコストが特定の業務に紐づいているか。停止条件は全勘定科目が「該当業務あり」か「発生しない(理由付き)」のいずれかに落ちたら
- 市場規模の推算:TAM・SAM・SOMを求められたときに発動する。判定基準は積み上げと統計トップダウンの乖離が±30%以内か(当社の運用基準)。停止条件は2方面が突合できたらであり、SOMは推算せず意思決定として扱う
- 仮説の設計:仮説を求められたときに発動する。判定基準は具体性・反証可能性・行動可能性の3つ。停止条件は反証条件(何が観測されたら捨てるか)が書けたら
形式知化は、構造の欠陥を捕捉する
当社が市場規模の推算に用いている方法論は、2つの手順に分かれている。市場規模推算(TAM・SAM・SOMの算出)と、市場セグメンテーション(顧客の切り分け)である。いずれも実務で長く使ってきた道具であり、コンサルティングでも研修でも機能していた。
当社ではSkillの整備工程に、作成者以外の視点で複数の手順書を突き合わせる構造レビューを組み込んでいる。この静的な点検の工程で、2つの手順書の依存関係に問題が見つかった。市場規模推算の側には「SAMはセグメント別に積み上げるのが原則であり、セグメンテーションが未実施ならまずそちらを実施せよ」と書かれ、セグメンテーションの側には「実施の前提としてSAMが定義済みであることが望ましい」と書かれていた。参照が循環しており、初めてこの方法論に触れる者にとって入口が定まらない。
正確に述べておきたい。これで運用が止まったことはない。セグメンテーション側の記述は「望ましい」という緩い表現であり、厳密な前提条件ではなかったし、人間が読めば「範囲だけ決めて始めればよい」と補完できるからである。問題は、補完に依存する手順書は、AIに渡した時点で挙動が読み手任せになるという点にある。
原因を掘ると、根にあったのは依存関係の書き方ではなく、「SAM」という一語に二つの概念が混在していたことであった。SAMには、①価値×手段で定まる範囲の定義(定性)と、②顧客数×支払額で積み上げる金額(定量)という異なる中身がある。セグメンテーションが実際に必要とするのは①だけであり、②はむしろセグメンテーションの出力から作られる。一語を二つに割ると、先行要件の循環は解消した。ただし両者を独立させたわけではない。範囲定義→ラフなセグメンテーション→セグメント別の積み上げ→見直し、という往復(反復)関係として意図的に定義し直した。消したのは「どちらが先か」の循環であり、行き来そのものは方法論として必要である。
副産物もあった。当社にはもともと「セグメンテーションをざっくり先にやった方が規模推算の精度が上がる」という実務上の感覚があったが、これは経験に基づく手触りであって、根拠を説明できるものではなかった。概念を分離すると、この順序が構造から導出できるようになった。セグメンテーションが必要とするのは範囲定義のみであり、金額はその出力から作られるのだから、ラフなセグメンテーションを先に置くのが論理的に正しい。
なお、「これは方法論の欠陥ではなく文書化の欠陥ではないか」という指摘はありうる。当社の見立ては、両者は分けられないである。現象は文書化の不備として現れたが、根にあったのは用語が二つの概念を抱えたままだったという概念設計の未整理であり、実務が回っていたのは熟練者が文脈で使い分けていたからにすぎない。そしていずれの解釈を採っても、本稿の論点は変わらない。人間同士の会話では一語の多義性を文脈が吸収するが、手順書の間では吸収されない。形式知化は、その吸収に頼っていた箇所を可視化する。
検査できるのは「整合性」であって「妥当性」ではない
ここで、前節の主張に必要な限定を加えなければならない。形式知化によって検査できるのは、整合性である。用語の一貫性、依存関係の無矛盾、網羅性の根拠、判定基準の有無。これらは書き出せば点検できる。
だが、妥当性は検査できない。その方法論が現実に対して正しいかどうかは、書き方の問題ではないからだ。むしろ厄介なのは、一貫して誤っている方法論は整合性の検査を易々と通過するという点である。前提が間違ったまま論理が整った手順書は、AIによって高速に、再現性をもって、同じ誤りを量産する。これは古くGIGO(Garbage In, Garbage Out)と呼ばれてきた問題が、実行速度を得て再来する構図である。形式知化は方法論を強くするが、誤った方法論も同じだけ強くする。
したがって妥当性の検査は、別の仕組みに委ねなければならない。当サイトの仮説思考稿で述べた通り、反証条件を先に置き、実績と突き合わせて棄却することである。整合性は文書の中で検査できるが、妥当性は現実との衝突でしか検査できない。形式知化とは、方法論を反証可能な形に置くことでもある──この一段を欠くと、形式知化は「速く間違える仕組み」に転じうる。

検査は、作った本人以外が担う
前節の事例で述べておきたいことが、もう一つある。当社の方法論の循環を発見したのは、方法論を作った者自身ではない。作成者以外の視点で複数の手順書を突き合わせる工程が、それを捕捉した。
これは偶然ではなく、構造的な必然である。暗黙の補完は、補完している当人には見えない。「SAM」の語を文脈で使い分けていた熟練者にとって、その使い分けは意識に上らないからこそ暗黙知なのであり、自分の手順書を読み返しても、頭の中で同じ補完が働いて矛盾が矛盾に見えない。自分の盲点は、原理的に自分では検査できない。
ゆえに形式知化の工程には、作る側と検める側を分ける設計が要る。当社では、方法論の起草と、その構造レビュー(用語の一貫性、依存関係、判定基準と停止条件の有無を機械的に点検する工程)を別の主体が担うようにしている。加えて、検査は一度で終わらない。方法論には版があり、当社のSkillも版管理して改訂を重ねている。形式知は完成品ではなく、改訂の履歴を持つ資産である。AIを検める側に立たせる設計論はそれ自体が独立した主題であり、稿を改めて論じたい。
人とAIの分業線は、固定ではなく移動する
形式知化が進むと、人とAIの分業はどう変わるのか。当社の現時点の運用では、概ね次の形になっている。
- 人が担う:発動条件の設計、構造(手順)の設計、判定基準と停止条件の決定、出力の検証
- AIが担う:手順の実行、候補の網羅的な生成、検算、形式の整備
当サイトの各稿で述べてきた結論は、この分担の言い換えでもある。分解の候補はAIが大量に出力できるが、それが妥当かを検証できるのは原理を手順として理解した人間である。仮説についても、AIは構造の空欄を埋められるが、空欄そのものを作ることはできない。市場規模も、TAMとSAMの推算はAIが短時間で回せるが、SOMは戦略に従う。
ただし、この線は固定ではない。判定基準を明文化してAIに渡した範囲においては、判定そのものもAIに委ねられる。除去テストを基準として書き切れば、型の判定はAIが実行できる。基準の案を出すことすらAIは支援できる。移らないのは、基準を決めるという行為に伴う責任である。誰の名前で、何を根拠に、どの基準を採用したのか──ここは責任の所在の問題であって、能力の問題ではない。形式知化が進むほど分業線は人の側へ後退していき、人に残るのは「線を引く仕事」そのものになる。現時点で形式知化の外側にあるのは、手順の存在しない仕事──何を問うべきかを決めること、どの価値を優先するかを選ぶこと──であるが、ここに手順があるかどうかは、当社としてもまだ答えを持っていない。

組織にとっての形式知化──「組織の理解負債」の返済
最後にこの議論を組織論に接続しておきたい。
事業が成長し権限委譲が必要になる局面で、経営者や熟練者はメンバーに方法論を引き継ごうとする。だがこのとき引き継がれるのは、多くの場合事実である。数字、経緯、決定事項。引き継がれないのは評価の前提──なぜその判断基準なのか、何を捨てた結果その結論なのか──であり、前提が移らないまま事実だけが流通すると、組織は判断の根拠を失っていく。当社ではこの状態を理解負債と呼んでいる。技術負債と同じく、放置すれば利息がつき、いずれ意思決定の速度と質を圧迫する。この概念そのものについては、稿を改めて論じたい。
本稿の文脈で述べておきたいのは、AIに渡す形式知の要素が、そのまま理解負債の返済手段になりうるという点である。判定基準と停止条件は、まさに「評価の前提」の言語化そのものだからだ。AIのために書いた手順書は、新しく入ったメンバーにも渡せる。
もっとも、ここは慎重に述べたい。AIに渡せる形で書かれた方法論は、人にも渡しやすい。だが、それだけで人に伝わるわけではない。人には、なぜこの方法論なのかという意図や、失敗の記憶を含む文脈の共有が別途必要であり、対話でしか伝わらないものも残る。形式知化は暗黙知を置き換えるのではなく、その外周を押し広げる作業である。だからこそ言えることがある──形式知化できたところまでが、組織の再現可能な資産である。
おわりに──自分の盲点は、自分では検査できない
生成AIの登場によって、方法論を言語化することの見返りが決定的に変わった。かつてマニュアル・手順書は「読まれないかもしれない文書」だったが、いまは実行される資産である。そして書き切る過程で、自分の構造の穴が見つかる。当社にとってSkillの整備は、AIを働かせるための作業であると同時に、自らの方法論を検査する作業になっている。
もっとも、本稿を読んで「6要素を書けばよいなら自社でできる」と思われたなら、それは正しい。方法論の言語化は、外部に委ねなければできない仕事ではない。着手の単位は小さくてよく、まず1つ、組織の中で最も属人化している方法論を選んで書き出すことから始まる。難所は書く作業そのものではなく、次の2点にある。
第一に、自分の暗黙の補完は自分では見えないため、構造の検査には作る側と別の視点が要る。
第二に、整合性が取れた形式知は、妥当性が誤っていても高速に流通するため、反証条件の設計を同時に組み込まなければならない。当社が伴走するのは、主にこの2点である。
そして成果の測り方も述べておきたい。整備したSkillの本数は成果ではない。熟練者が介在しなくても水準が再現された仕事の割合こそが成果である。この指標が動かないなら、それは形式知化が足りていないか、そもそも方法論が妥当でないかのどちらかである。
貴社の方法論は、AIに渡せる形で書かれているだろうか。それとも、特定の誰かの頭の中にあるだろうか。
当社の方法論の体系は「方法論」および代表著書『事業計画の極意』を参照いただきたい。
形式知化と検証設計の伴走、研修のご相談は当社までお問い合わせいただければ幸いである。
本稿執筆者:木村 義弘|株式会社プロフィナンス 代表取締役CEO
2006年、株式会社インスパイア入社。投資部門にてスタートアップへの投資実行、投資後のバリューアップに従事。スタートアップの海外事業立ち上げを経て、2011年デロイトトーマツコンサルティングに入社。デロイトとして、ミャンマー事務所創設に従事し、現地では日系企業・現地政府の産業政策立案支援に携わった。2015年メディア系企業の経営企画部メンバーとして国内外のM&Aを主導し、国内及びシンガポール子会社CFOとしてPMI・管理体制構築を推進した。2018年株式会社プロフィナンスを創業。変化に強く、企業成長を加速させる動的経営プロダクト「Vividir(ビビディア)」を開発、提供。グロービス経営大学院 特任准教授としてファイナンス科目の講義も担当する他、スタートアップアクセラレーションプログラムのメンターとしても活動。
著書:「事業計画の極意:仮説と検証で描く成長ストーリー」(中央経済社、2024年12月)
東京大学大学院工学系研究科修了。
